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暗い海

2019/04/06

小学生の頃、夏休みに家族で旅館に泊まりにいった。日程は3泊4日で、すぐ近くに海がある場所だった。
俺はその間、海ばっかり行ってた。水泳習ってたし、もう5年生だったから、親も俺が一人で行く事には、特に文句を言わなかった。
ずっと一人で泳ぐのはちょっと寂しいものもあったけどね。何日目だったかな。夕方、日が沈む直前まで泳いでた。
で、そろそろ帰ろうと思ったら、海から見えるはずの旅館がない。本当に、建物がごそっと消えていたんだ。
なんだか嫌な予感のまま、荷物を持って旅館へと戻った。場所は間違えるはずもない。何回も往復しているのだから。
旅館があった場所は、もはや残骸と化したグチャグチャの建物。木片や石がそこらじゅうに散らばっていた。
俺は最初、何が起きたか全くわからなかった。そして、ふと、あるおかしなことに気付いた。
海からここに戻ってくる間、誰かとすれ違ったっけ?
否。
そして、こんな状況、こんな状態の建物の周りに・・・それどころか、近くの道に人一人居ない。車も走っていない。誰もいない。
「!!!!!!!!!!!!!!!」
意味不明の恐怖で高鳴る心臓。荷物を手に取ると、一直線に海まで駆け出した。周りはもう暗い。何度も転びそうになった。
昔から、変に冷静な子供だった俺。あの場所に留まるよりかは、開けた場所に行ったほうがいいと判断したのだ。
本気で走ったため、海に着いたときは、本気で息が切れていた。両膝に手を当て、息を整える。
何で何も無い?今まで俺が居た場所は?父は?母は?これからどうすればいいの?
色々な事を考えながら、何気なく後ろを振り向いた。真っ黒な海の中が、明るく煌くのが見えた。旅館の光が反射していた。
もういちど振り向くと、自分が泊まっていた旅館があった。
(よかった!)
安心が一気に押し寄せてきたと同時に、後ろの真っ黒い海が、騒ぎ始めた。はっとして、反射的に後ろを振り向いた。
自分から数メートルもない場所に、何か居る。旅館の光が多少なりとも海を照らしているため、そこにいる何かは案外すぐに判別することが出来た。
人間だった。
ジーパンをはき、シャツを着た女が、濡れた長い髪を振り乱しながら、それはもう必死に、両手で海を殴っていたのだ。
静かな海の静寂は、バチャン、バチャン、という海を殴る音でかき消されていた。
大抵、そこで気絶なんかするもんだろうけど、俺はそんな事出来なかった。さっきとは別の恐怖。ただ、体が固まって動けずに・・・とはならずに、荷物を手に取り、一目散に旅館へと走った。
砂のせいで、走りにくいのが鬱陶しかったけど・・・海を殴る水音は、消える事は無かった。肺が潰れるんじゃないかと思うほど、俺の息は切れていた。それもそのはず、さっきも本気で走ったんだから。
恐る恐る旅館に入ると、フロントに両親が居て、俺を見つけるなり、頭を殴ってきた。今まで何処に居たのか、と。探したんだぞ、と。
それは俺の台詞だ。事は、俺が一人でうろついていたという事で収められた。今しがた体験した事など、誰にも話す気にもなれずに、結局俺は、残りの一日は、海に行く事は無かった。
両親は、海に行かない俺を見て、怪訝な顔をしていた。後から考えても、海で見たあれは幽霊の類などではなく、確実に生きている人間だったと俺は思っている。
ただ、旅館の消失については、納得のいく答えが出ていない・・・俺と一緒に全てを見たはずの、あの荷物一式。
その「最後の生き残り」だった水中メガネも、先日、親戚の子供へと譲られてしまった。

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