突堤の女
2019/07/14
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友人の話。
深夜、漁港の突堤で釣りをしていた時のことだ。
普段なら同好の志が五、六名はいるものなのだが、
その夜は彼一人だけだったらしい。
「独り占め、独り占め」
そうポジティブなことを考えながら竿を振っていると、
どこからか声が聞こえてきた。
女性の泣き声のようだ。
突堤の端を見やると、
何やら白い影が蹲っている。
しゃがみ込んで、両手に顔を埋めていた。
髪が長い。
こんな時間にこんな場所ですすり泣いているなんて、
何かあったんだろうか?
しばし悩んでから、声を掛けることにした。
「どうかしたんですか?」
そう声を掛けた途端、
泣き声がピタリと止まった。
しかしうずくまった影は、
ピクリとも動かないままだ。
そのまま見つめていたが、
やはり固まったように全く身動ぎをしない。
近寄って様子を見てみようかと思い、
釣り竿を下に置いて向き直った。
ギョッとした。
女は顔を上げて、こちらをじっと見ていた。
目の部分に眼球が見当たらず、
大きな黒い穴がぽっかりと空いている。
それでも友人には、
女が自分を見つめているのだと、
何故かはっきりわかったという。
同時に、おかしな事にも気がついてしまった。
女の側には明かりが一つもないのに、
どうしてあんなに細部まではっきりと見えるのだ?
女は相変わらず、動く気配を見せない。
サッサと逃げ出すことにした。
手早く道具を片付けて、荷物をまとめる。
肩に担ぐ前に再度、
向こうの様子を確認してみた。
女は立ち上がっていた。
しかし、やはり動いていない。
その時、ふと、奇妙な事を思いついた。
もしかしてこの女、
俺が見ていると動けないんじゃないか?
試しに目を一旦逸らしてから、
ゆっくりと女に向き直ってみる。
女はこちらに向かって歩き出す格好をしていた。
両手を前に突き出して、
片足を空中に停めたままで。
もう一度視線を外し、
今度はすぐに女に顔を向けてみた。
やはり固まった姿で動かないが、
どう見ても先程よりこちらに近づいていた。
まるで、“ダルマさんが転んだ”みたいだな。
そんなことを考えて苦笑した。
しかし、幽霊相手に遊ぶ気にはなれない。
そのまま背を向けて、
駐車場に置いた車まで走って逃げる。
振り向くと、突堤の入り口に立つ白い影が見えた。
・・・嘘だろ。
移動距離を考えると、
あいつ、俺より速いぞ・・・
慌ててトランクに荷物をぶち込んでから、
再び後ろを確認した。
女は僅か数メートルの位置にまで近寄っていた。
悲鳴を上げて運転席に飛び乗り、
エンジンを掛けるや否や車を出す。
出す瞬間、反射的にバックミラーを確認してしまった。
トランクカバーに両手をついた女の姿が映り込んでいた。
思い切りアクセルを踏み込み、
全速力で港から逃げ出した。
走っている際、
後ろを確認しないように注意したという。
外灯の多い街中まで帰ってくると、
やっと一息付けた。
あそこは結構通ってるけど、
あんなモノを見たのは初めてだな・・・
赤信号で停車中にそんなことを考えていると、
交差点斜め向かいにある店舗の
大きなショーウィンドウに目が行った。
まるで暗い鏡のように、
ぼんやりと彼の車が映っている。
そして、その後ろに立っている、
両手を前に突き出した人影も。
・・・憑いて来ちゃってる・・・
真っ直ぐ帰宅するのを諦め、
一番明るくしているファミレスへ逃げ込んだ。
車から出る時も、店に入る前も、
入ってからも、絶対に後ろを見ることはなく、
また鏡の類いにも目を向けないように細心の注意を払った。
背後が壁になった席を選び、
夜が明けるまで、そこで凌ぐことにした。
空が白んできた頃、
ようやっと恐る恐る背後の駐車場に目を向けてみた。
不気味な影は何処にも見えなくなっていたそうだ。
安堵の余り、思わず涙が少し出てしまったという。
「だからそれ以降、絶対に一人じゃ、
夜中にあの突堤には行かないんだ」
最後に肩を竦めながら、
彼は私にこの話をしてくれた。
「・・・そんな体験しながら、
よく同じ場所に行けるよね・・・」
私がそう言うと、
彼はキョトンとした顔でこう言ってのけた。
「一人じゃなければ、ま、何とでもなるだろ」
釣りというものは恐怖心を鈍らせるのだろうか、
と呆れながら思った私だった。