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ホタルが出たか

2022/03/01

ある人が、夏の盛りにフライフィッシングに出かけた。ある程度釣り歩くと、すっかり日も暮れて川に夜が来た。

それでもその日は結構パタパタと魚信があったので意地悪く釣り歩いてると、急に川が開けていかにも釣れそうな場所が現れた。

今日の最後はここで締めくくろうと竿を振ると、突然ブワーッとホタルが舞い始めた。ホタルはまるで川面から湧き出すように飛び回り、川は幻想的な雰囲気に包まれた。

こんな量のホタルは珍しいと思った途端、川から人の声が聞こえてきた。最初は気をつけてないと聞き取れないほどの声量だったけれど、徐々にその声は大きくなって、だんだんと内容が聞き取れるようになった。

集中して訊いていると、どうやらその声は、このあたりで小さな女の子が行方不明になり、その子をこれから近隣住民総出で探しに出かける、というような内容の話だった。

その時点でだいぶ怖かったのだけど、怖さよりも好奇心が勝って、竿を振りながらつい聞いてしまったそうだ。

声は本当にテレビドラマを音声だけで聞いているような感じだったそうで、その娘の母親と思われる女性の声や、捜索を依頼された村人の声というように、はっきり聞き分けが出来た。

そのうち、その声が佳境に入り、村人の声が「最後にここを探そう」というようなことを言った。今まさに見えない捜索活動が目の前で行われているというような感じに聞こえたという。何かの記録映像を見せられているかのように、音声だけが川面から聞こえ続けていたのだとか。

あまりにもリアルな会話がなにもない川面から聞こえてくるので、その人はとうとう怖くなり、「どうしたんですか! 誰かいるんですか! 誰かがいなくなったんですか!」と川面に怒鳴った途端、

あああああーーーーーーー!
と聞くに堪えないような女の悲鳴が聞こえた。

完全に怖くなって、その人は竿も折り畳まないままに川を飛び出し、停めてあった車とは反対の方向にすっかり暗くなった道をバタバタと逃げた。

しばらく狼狽えてると、近くになにか家の明かりが見えてきた。とにかく人の声が聞きたかったので、不審者そのまんまの格好でその家に飛び込み、「すみません!誰かいませんか!」というと、奥から腰の曲がったばあさんが出てきた。

「とにかく喉が乾いてるから水をくれ」というと、ばあさんがコップに入れた水を持ってきてくれた。なんとおかわりまでお願いしたそうだ。水を二杯も飲むと、気持ちも落ち着いてきた。

ばあさんが「何があったんだ」というような事を聞くので、その人は失礼な訪問を侘びながら今しがた起こった事をしどろもどろに説明した。

すると、ばあさんは一笑に伏すどころか沈痛な面持ちになってぎゅっと目をつぶり、搾り出すように「そうか、またホタルが出たか」と悲しそうに呟いたそうだ。

ばあさんが言うには、昔、川の近くに県外から越してきた一家が家を建てて住んでいたという。他人が羨むほどにアットホームな家庭で、三歳くらいの一人娘がいた。

ある日、その娘が遊びに出たまま帰らなくなった。村人は必死に捜索したが、その村ではたまに行方不明者が出ることがあって、大抵川で死んでいたという。

夕方になっても娘が見つからなかったので、村人たちは半ば絶望的な気分で川を探した。果たしてその娘は、ホタルが飛び回る川のトロ場にうつ伏せになって浮いていた。

村人が目を背けた途端、母親が川へざぶざぶと分け入り、死んだ娘を抱きしめながら

あああああーーーーーーー!
と聞くに堪えないような悲鳴を上げたという。

結局、娘を失ったその一家はそれからすぐに家を潰してどこかへと去った。それからというもの、川の近くで幽霊に会った、怖い体験をしたという話が聞こえてくるようになった。それは必ず、夏の盛りの夕方、丁度ホタルが飛び始める時間なのだという。

ばあさんの話を聞くに、この家に血相変えて飛び込んできた人は自分が初めてではないらしかった。ばあさんの話を聞いて、その人は怖いというより、妙に確信めいたような切ない気持ちになった。

というのも、自分が今釣りをしていた川は、わずかに湾曲した川が深い淵を形成するトロ場だったからだ。なるほど、その川の上流で流された人がいるなら、遺体はきっとそこに浮くのだろうという確信があった。

話を語り終えると、ばあさんは辛そうな表情のまま家の奥へと引っ込んで二度と出てこなかったという。結局、その人は家の奥にお礼の言葉を言って、そっとコップを玄関に置いて帰ったそうだ。

そのせいで、その人は以来、ホタルの飛び始める時間まで釣りをすることはなったのだという。

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