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田中河内介の末路

2020/11/03

大正時代の始め頃、東京の京橋に「画博堂」という書画屋があって、そこの3階には同好の志が集まって持ち寄った怪談話をかわるがわる話し合うということがよく行われていた。

ある日、その画博堂に見なれない男がやってきて、自分にも話をさせてくれと言う。どんな話かと聞くと、田中河内介の話だという。田中河内介は明治維新時の知られざる尊皇志士のひとりである。

見慣れぬその男は、「田中河内介が寺田屋事件の後どうなってしまったか、話せばよくない事がその身にふりかかって来ると言われていて誰も話をしない。知っている人はその名前さえ口外しない程だ。そんなわけで、本当の事を知っている人がだんだん少なくなってしまって自分がとうとうそれを知っている最後の人になってしまった、だから話しておきたいのだ。」と言う。

始めは、よした方がいいなどと、懸念してとめる者もいたが、大半の人々が面白がってうながすので、その男が話を始めた。だが前置きを言っていよいよ本題にはいるかと思うと話は最初へ戻ってしまった。

河内介の末路を知っている者は自分一人になってしまった、それにこの文明開化の世の中に話せば悪いことがあるなどということがあるはずもない、だから今日は思い切って話すから、是非聞いてもらいたい。…というところまで来ると、また始めに返って、田中河内介の末路を知っている者はと話し出す。なかなか本題にはいらない。

その間に、一座の人が一人立ち、二人立ちしはじめた。別に飽きたから抜けていくというわけではなくて、用で立ったり呼ばれたりして立ったのだそうだが、私も自宅から電話がかかってきて下に呼ばれた。

下に降りたついでに帳場で煙草をつけているとまた一人降りて来た。まだ「文明開花」をやってますぜ、どうかしてるんじゃないかと笑っていると、あわただしく人がおりてきた。

偶然誰もまわりにいなくなったその部屋で、前の小机にうつぶせになったまま、彼が死んでしまったというのだ。とうとう河内介の最期は話さずじまいであったというのである。

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