白い顔の女
2020/07/22
大学時代の友人、Fの話をします。
Fは入学当初からにぎやかで遊び好きな男でした。
そのFが2年の春から大学の近くにアパートを借りて一人暮しを始める事になったのです。
晴れて一人暮しを始めて半月ほどは、うるさく意見する保護者がいなくなったことからか、Fは連日、コンパだなんだと遊び回っていました。
ところがです。
一人暮らしを始めて、1ヶ月ほどすぎたころから、急にFは付き合いが悪くなったのです。
大学に来ても、授業が終わると、友人達の誘いを断り、そそくさと帰ってしまうのです。
性格までも変わってしまい、以前はにぎやかに騒ぎまくっていたあのFが、妙にぼんやりとして、人に話し掛けられても上の空といった様子なのです。
Fのあまりの変化が気になった僕は、何かあったのか聞いてみました。
すると、Fは初めのうちは言い渋っていたのですが、やがて照れくさそうな笑みを浮かべて、「実は彼女ができて、今、一緒に暮らしているんだ」と打ち明けました。
それを聞いた僕は、驚き半分やっかみ半分で彼女の事をいろいろ聞き出そうとしましたが、Fはなかなか答えようとしません。
結局、僕が聞き出す事ができたのは「彼女が凄い寂しがり屋なので、一人で部屋に置いておけない。だから滅多にでかけなくなったのだ」という事ぐらいでした。
僕が「だったら彼女と一緒に出かければいいじゃないか」と言うと、Fは「彼女は身体が弱いから、外に出るのは大変なんだ」と答えるのです。
僕はどこか納得いかないものを感じました。
そんな身体の弱い女と、あの遊び好きで活発だったFが一体何処で知り合ったのか・・・
そして彼女は部屋から一歩も出ずにどうやって生活しているのか・・・
確かに気になりましたがそんな事を軽々しく聞くわけにもいかず、とりあえずF本人が満足しているのなら僕に口出しする筋合いはありません。
それ以上は何も聞かずに、その日はFと別れました。
ところがその翌日からFはぷつりと大学に来なくなってしまいました。
Fが顔を見せなくなって十日ほど過ぎた頃、さすがにおかしいと思った僕はFの部屋に電話をかけてみましたが料金を滞納して回線を切られているらしいのです。
心配になった僕はFのアパートに行ってみることにしました。
途中、僕以外にFと親しかった友人にも声をかけましたが、都合が悪くて結局僕1人で行く事になりました。
Fの住んでいるアパートは何処にでもあるような平凡な建物でした。
僕はFの部屋を見つけるとチャイムを押しましたが何の反応もありません。
留守かと思い引き返そうとすると、中から物音が聞こえたような気がしたので念の為にドアに耳をあてて様子をうかがうと、中からぼそぼそと話し声が聞こえてきます。
僕はもう一度チャイムを押し、何度も押し続けた末、ドアが開き、そのほんのわずかな隙間からFが顔を覗かせました。
「F!おまえどうしたんだよ?!」
「・・・なんだ、Nか」
そう言ってFはドアを大きく開きました。
その顔を見て僕はギョっとしました。
Fは酷く顔色が悪くどんよりとした目は充血し、無精髭だらけの頬はこけて、げっそりとしており、まるで別人のようになっていたのです。
僕が驚きに言葉を失っていると、Fは
「・・・まあ、入れよ。せっかくだから彼女にも会っていってくれよ」
と言い、ドアを開けたまま、僕にはお構いなしに中へ入ってしまいました。
僕はあわてて靴を脱ぎ、あとを追いかけました。
狭い玄関を入ると、すぐにキッチン兼用の短い廊下になっていて、その向こうには部屋に通じるらしいドアが見えました。
Fはそのドアを開けると、部屋のほうへ向かって「友達が来たんだよ」と声をかけて中へ行きます。
僕もそのあとに続きました。
「突然ですいません。お邪魔します」
と部屋にいるはずの彼女にそう挨拶しながら部屋に足を踏み入れた僕は、部屋の中を見て呆気にとられてしまいました。
そこには女の姿など影も形もなく、六畳ほどの部屋には家具と呼べるようなものはほとんど無く、代わりにコンビニやファーストフードの袋やカップ麺の開き容器などが散乱しています。
そしても奇妙なことに部屋の真ん中に縦横の幅が1メートルはあろうかという大きな水槽が1つ、頑丈そうなスチール台に置かれていました。
水槽にはなみなみと水が湛えられ、その中にはバレーボールほどの大きさの黒い藻の塊のようなものがゆらゆらと浮いていました。
「・・・こいつが俺の友達のNだよ。ほら、前に話しただろ」
僕の横に立っていたFは、誰もいない空間に向かってそう言いました。
「お、おい、しっかりしろよ!誰もいないじゃないか!」
「・・・誰もいないって?馬鹿な事言うなよ。彼女に失礼だろ」
Fのその言葉に答えるように水槽の中の黒い藻がユラっとうごめきました。
そして藻の塊はゆるゆるとほどけるように水中に広がってゆき、その中央に何か白いものが見えました。
じっと目を凝らした僕はそれが何かを理解した途端、悲鳴を上げました。
それは目を閉じた白い顔の女だったのです。
巨大の水槽の中に水に揺らめく黒髪に縁取られた女の生首が浮いていたのです。
僕が黒い藻だと思っていたものは女の髪でした。
水中に浮かんだ首だけの女は僕の目の前で閉じていたまぶたをパッチリと開きました。
そして女は僕を見ると、色の無い唇をゆがめてニタリと笑ったのです。
次の瞬間僕は一目散に部屋を飛び出していました。
それっきりFには会いませんでした。
あの後Fは失踪してしまい、実家の家族が捜索願いを出したという事で大学に警察が来て、いろいろと調べていたようでしたが結局Fの消息はつかめなかったとの事です。
失踪後Fの部屋には巨大な空の水槽が残されていたと聞きました。