硫黄島
2019/07/22
硫黄島がなぜ史上有数の激戦地となったか。
それは、日本兵が天皇万歳と言って戦ったからではない。
自分達が一日頑張れば、一日空襲を防げる何百人の日本人の命が助かる。
その事を兵士が知っていたから、水も食料も弾も無いのに最後まで抵抗したのだった。
東京爆撃を考えた米軍は、爆撃機の基地が欲しかった。
そして、飛行場が作れる唯一の島が硫黄島だった。
そこで米軍は、物量にものを言わせ大部隊を派遣したのだ。
迎える日本軍は、弾も水も食料も僅かだった。
まず米軍は、島の形が変るほど艦砲射撃を加えて、上陸用舟艇を派遣した。
しかし、日本軍はまったく抵抗しなかった。
なぜなら、一日でも長くここに留まる事が目的であった日本軍は、
砲撃して陣地を敵に知られたくなっかたからだ。
そして、まさに敵の顔が見えるほどの距離での白兵戦が始まったのだった。
海は死体で覆われ、海岸は血にそまり、
米軍は仲間の死体を盾にして、日本軍の壕に手榴弾を放り込んだ。
雨水しか利用できない硫黄島の日本軍に、飲み水はほとんどなかった。
そしてその飲み水も、多量の出血で水分を本能から欲しがる、
もう助からない者のみが飲むませてもらった。
三交代制で攻撃を加えた米海兵隊は、占領した海岸に簡易プールまで作って英気を養っていた。
それ程の物量を持ってして、この小さな島をやっとの思いで占領した米海兵隊にとって、
ここは史上最大の激戦地となった。
NYテロで消防士が星条旗を掲げ有名となったワンカット。
四人の兵士が星条旗を掲げようとする絵や銅像は、この硫黄島での実話である。