幽霊の正体
2019/06/13
昔、小学校の担任のF先生から聞いた話。
第二次世界大戦中、小学生だったF先生(以下F少年)は、
集団疎開でとある田舎のお寺に預けられた。
寝泊りにはお寺の本堂の、一番広い部屋をあてがわれていたが、問題はトイレ。
ご住職と奥さんは、本堂のトイレを使っていたが、
疎開者は別のトイレを使わなければならなかった。
ところがそれは、本堂からやたらと離れた場所にあり、しかもそこへ行くには、
寂しい一本道を通らねばならず、その両側はなんと墓場。
それも土葬だったようで、ところどころ腐った木の棺を突き破って、
死体の腕や足が突き出していることがあり、
子供たちは昼間でも目をつぶってトイレまで走って用を足しに行っていた。
夜ともなれば、当然ながらその恐ろしさは一層凄まじく、
皆なるべく行かないようにしていたが、どうしても我慢できないときもある。
その日も一人、夜中に恐々、用足しに出て行った子がいた。
突然、凄まじい悲鳴が聞こえ、飛び起きたみんなが見たものは、
涙と汗まみれの顔をして、四つん這いに這って来るその子の姿だった。
恐怖に全身をガタガタ震わせながら、その子は、
「おばけ!おばけが出た!!」と叫んで泣き出した。
皆でなんとか落ち着かせて話を聞いてみると、
トイレ(というより、木造便所なわけだが)の扉を開けると、
中から髪を振り乱し、死に装束をまとった女の幽霊が迫ってきたのだという。
その子の怖がりぶりはひどいものだったが、余りにも典型的な幽霊話だったために、
誰も本気にしようとせず、
「まあ、夜中のことだし、恐怖心から何かを見間違えたのだろう」ということになって、
その夜はその子をなだめすかして終わった。
しかし、この話はこれだけでは終わらなかった。
次の日の夜中。
やはり、我慢できずに用を足しに行った子がいた。
突然、凄まじい悲鳴が聞こえ、飛び起きたみんなが見たものは、
涙と汗まみれの顔をして、四つん這いに這って来るその子の姿だった。
「おばけ!おばけが出たー!!」
便所の扉を開けると、髪を振り乱した、死に装束の女の幽霊が迫ってきたというのだ。
子供たちの、その便所への恐怖はさらに増した。
昼間でもあれほど恐ろしい場所なのに、
こうなっては夜中にあの場所へ行く勇気など、おきるわけがない。
しかし、悲しいかな、やはり我慢できないときはある。
その後も、夜中に用を足しにいっては、幽霊に出くわして逃げ帰る子供が続出した。
その幽霊はやはり、髪を振り乱した死に装束の女の幽霊だという。
ところでF少年は、名うてのガキ大将だった。
ガキ大将というものは、ケンカが強くて、威張っているだけではいけない。
頼れるリーダーとして、義務と責任があるものなのだ。
恐ろしい幽霊に対抗できる、期待の星として、自然と子供たちの注目は
F少年に注がれた。こうなっては、後には退けない。
「俺が、おばけを退治してやる!!」
F少年は、ある日ついに、そう宣言した。
その日の夜中。
F少年は、片手に寺から持ち出した木刀を握り締め、
子供たちの視線を一身に浴びながら、本堂を後にした。
昭和の初期の田舎の暗闇は、月の光で影ができるほど、濃く、深い。
そして細い道の両側には、例の凄まじい光景が広がっている。
それでも最初のうちは、英雄としての賞賛を背に、意気揚々と歩いていたが、
やがて振り向いても本堂を見ることも出来なくなり、励ましの声も聞こえなく
なってくると、カラ元気も次第に尽きて、F少年の足取りは、自然にトボトボと、
力ないものになっていた。
ぽつんと立っている、細い電柱。そこに取り付けられた、
頼りない電球の灯りに照らされて、その便所はあった。
屋根はなく、四方を板で囲んだだけの、粗末なつくり。
やっとの思いで、そこまでたどり着いたF少年だったが…、
正直、怖くて扉が開けられない。
それでも、ここまで来てしまったからには、もうやるしかない。
ガキ大将としてのメンツがかかっているのだ。
恐怖と緊張に汗の滲んだ右手に、木刀をしっかりと握りなおし、
彼は便所の扉の取っ手に手をかけた。
ただし、やっぱり怖いので、顔はそむけていた。
F少年は、ついに度胸を決め、思い切って取っ手を引いた。
勇気を振り絞って振り返ったそこには、髪を振り乱した、死に装束の女が!
それがぐぐっと、こちらに迫ってくる!
「うぎゃあああああっ!」
もうメンツも何も何もあったものではない。
そして、本堂で英雄を待っていた子供たちは、恐怖の汗と涙で顔をぐしゃぐしゃにして、
四つん這いに這って来るガキ大将を出迎えることになってしまった。
こうなってはさすがに放置できず、付き添いの教師や住職は、事態の究明に動き出した。
そして、意外な事実が判明した。
幽霊の正体は、実は住職の妻だった。
子供たちが疎開してきてからというもの、暴れ盛りの彼らが、
本堂を好き放題に駆け回り、もともと物静かでやや神経質だった彼女は、
すっかりノイローゼ状態になってしまった。
何度か夫に訴えたが、子供好きな住職は、仕方のないことだからと応じてくれない。
そこで、思いつめた末に、子供たちを追い出す作戦に出たのだった。
夜中に一人、あの恐ろしい場所で、幽霊の扮装をして、
おっかなびっくりやってくる子供を待ち伏せていたのだった。