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夜道で会った子供

2019/03/31

“クロちゃん”という呼び名の、某ゲーム会社で働いている男がいる。
ある連休の初日に、クロちゃんはひさしぶりに遊び仲間と飲み会をやって、べろんべろんになってしまった。
クロちゃんの実家は郊外にあるI市だ。
方向がいっしょの仲間の車に便乗して、国道の適当な場所で降ろしてもらった。
二キロメートルほど歩かなくてはいけないが、終電なんてとっくの昔に出てしまっているし、タクシーもめったにつかまらない時間なのだから、これはどうしようもない。
「ほんなら、気ィつけてな」
「ん。また近いうちになー」
で、クロちゃん小さくなってゆく仲間の車のテールランプに手を振ってから、脇道に入ってゆっくりと歩き始めた。
郊外都市といっても、このあたりは古い街道町のおもかげが残っていて、うらさびしい。
まして深夜なのだからなおさらである。
道の両側の、こちらに倒れかかってきそうな圧迫感を感じる木造家屋の窓は、黒々とした闇を内側に閉じ込めていて、ひっそり閑としている。まるで穴蔵だ。
カタカタカタ、カタカタ----。
その腐った格子のついた窓が、いっせいにかすかな音を立てた。
風のいたずらであるらしい。
(はじめて通る道だけど・・・え~と、まちがっちゃいないよな)
よく知っている町であるはずなのに、なんとなく違和感をおぼえたクロちゃんは、アルコール分120%の頭のかたすみで、そんなことを考えていた。
めったに散髪しない髪の毛が、さやさやと風に動いて首筋にあたるのが気持ち悪い。
心なしか、風がなまぐさい。
(橋は渡ったかな?渡ったはずだよな?渡らなかったかな?)
そんなときだった。
キ-----ッ、きききききききききッ。
静まり返った闇をやぶって、夜の町に甲高い音が響いた。
獣の鳴き声にも、鳥の声にも似ていた。だが、どうやら人間の奇声であるらしい。
ガラスの表面を針の先でひっかくような、神経を逆なでする奇声だ。
ひどくいやらしい、笑い声にも思えた。
(-----? なんなわけ?)
頭の後ろのほうにちりちりしたものを感じながら、反射的にクロちゃんはあたりを見回した。誰もいない。何もない。奇声はあれ一回きりのようだった。
頭の中で尾を引いていた奇声も、すぐに現実味を欠いていった。
ほんとうに奇声が響いたのかどうか、わからなくなってしまったクロちゃんだった。
(気のせいじゃないよな。人間の声だったよなあ。鳥とかじゃなくてさあ)
自分自身にたずねながら、闇の向こうをすかして見ていたクロちゃんの耳に、やがてまた伝わってくるものがあった。
といっても、二回目の奇声じゃない。
(これは---)
足音のようだ。
道の彼方から、こちらに近づいてくる。
こちらに向かってくるようだ。が、それにしてもなんだか濡れているような、ねばっこい足音なのだ。
ぺたっ。ぺたっ。ぺたっ。ぺたっ。
闇の中に、人影がにじみ出た。
自分のように終電に乗りそこねて、深夜の家路を急ぐ通行人だろうか。
まさか、さっきの奇声を発した本人とは思えないが。
(もしも、そうだったら・・・ヤバイな)
それにしても、ずいぶん小さな影だ。背が低い。極端に低すぎる。
「-----」
子供だった。五、六歳だろうか。髪をおかっぱに切りそろえた男の子である。
それが、小走りにこちらに向かって駈けてくる。
ぺたっ、ぺたっ、と足音をしきりにたてて。
こんな時間に子供がどうして外をうろついているのか。
いや、そんなことよりも近づくにつれて、もっと異常なことが見て取れた。
丸裸なのだ。
何も体にまとっていなかった。
そして全身は濡れているらしく、ぬらぬらと光っているのが、
闇の中でなぜかはっきりと見てとれたのである。
あれは、水で濡れているのだろうか?
気のせいか赤い色がちらちらする。煮凝りの汁のように、ねっとりした---。
ぺたっ。ぺたっ。びちゃっ。ぺたっ。
クロちゃんは、酔いが急速にさめていくのを感じた。
常識はずれた性格だと日頃自分でも思っていたはずなのに、こんな場合どうしていいかわからなかった。
道を引き返して、あの子供をやりすごすべきだろうか。
それとも反対に子供をつかまえて、事情を確かめるべきなのか。
しかし、つかまえるといっても、あれはほんとうに子供なのだろうか。
・・・人間なのだろうか?
ぺたっ。びちゃっ。ぺたっ。びちゃっ。ぺたっ。ぐちゃっ。
そんなことを考えたのは、あっという間である。
すぐに子供は、クロちゃんのそばまでやってきた。
子供は、にこにこと笑っていた。
何かが、べっとりとついているらしいその顔で笑っていた。
ただしそれは、クロちゃんに笑いかけているのではなくて、虚空をただじっと見つめながら笑っているのであった。
そうして、その子は両手に何かを握っていた。
よくわからなかったけれど、クロちゃんの目にはそれが、おそろしいほどたくさんの髪の毛に見えた。
水垢みたいなものがこびりついている髪の毛。
それが小さな握りこぶしの間から房になって垂れて、揺れていた。
バサバサと・・・。
裸んぼの子供は、クロちゃんとすれちがうと、国道のほうに駈けていった。
びちゃっ、びちゃっ、べちゃっ、ぐちゃっ・・・・。
今や“ぺたっ、ぺたっ”ではなく“べちゃっ、びちゃっ”と、何か汚らしい汁をまきちらしているような粘液質の足音は、しだいに遠ざかっていった。
あとには道の真ん中に、完全に酔いのさめてしまったクロちゃんだけがぽつんととり 残された。
「何だったのかって?あのガキが?・・・・なんなんだろうなあ。
今でもあの、びちゃっ、びちゃっ、っていう気色の悪い音が、耳にこびりついてたまんないよ。
あんなのにまた夜中にばったり会うくらいだったら、簀巻きにされて川ン中に放りこまれる方がなんぼかマシだよなあ」
人を食ったコメントも、また彼らしいものである。

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