弟
2019/03/01
家に帰ってくるまでの道のりがいつも長かった。
親は共働きだから帰ればいつも一人だった。
友達は塾。習い事。他の友達と遊ぶ。
俺と遊んでくれることは滅多になかった。
お母さんが帰ってきて、
ようやく一人じゃなくなる。
お母さんの作る夕飯は、
いつも何か、ぱさぱさしている。
そしていつも、お父さんはお仕事で遅くなるから、
先に寝てなさいね、と言う。
弟は1歳で死んだ。病気で。
俺だけすくすく育った。
小学校に入る。ランドセルを背負う。
制服を着る。運動会で走る。
俺に何かをさせるたび、与えるたび、
もう何もさせられない、与えられない弟のことが
親には思い出されるらしいのだ。
でも俺は弟のことなんて思い出せない。
弟が死んだとき、俺は3歳だ。
あってないような弟。影だ。
位牌に書かれた文字だ。
俺にとっての弟はただそれだけだ。
影につきまとわれている両親は
俺にはただの泣き虫に見えた。
俺の服がしまってある、
俺用のたんすの隣に、もう一つたんすがある。
「弟用」のたんす。
大きくなっていく俺の、もう着られなくなった服が、
「お下がり」としてそこに入っている。
「お下がり」が大きいものになるほどに、
弟は成長した。
家に帰ってくるまでの道のりが長いのは、
帰りたくないからだ。
帰りたくないのは、両親がいないせいで、
弟の影と二人きりになるからだ。
居もしないのに、いる。ある。
一人でもいいから、
公園で遊んでくればよかった。
今家を出たってもう遅い。
弟はどうせついてくる。
幽霊でもいいから、
もう一度会いたいねえ。
何言ってるんだろう。
弟はいつもそばにいるじゃないか。
死なんて問題にもせず、
成長し続けてるじゃないか。
弟の名前を口にするたび、
弟は新しく生まれてくるんだ。
金縛り、という言葉を知らないうちから
金縛りに遭っていた。
でも弟の仕業ではないだろう。
あれはいないんだから。
もう何十回目かの金縛り、
それも今までにないくらい苦しかったとき、
俺に覆いかぶさる女の姿が見えた。
これが金縛りのもとなんだ。
怖くない。すこしも。
だってそれは、目の前に、確かにいるんだから。
女は少し俺に話を聞かせた。
この家は呪われているから、
一人が生きるためには
もう一人が犠牲になって死ぬんだそうだ。
笑った。
だから弟は死んだのか。
どっちにせよどっちか片方が死んでたんだ。
怖いよ。弟が。
考えるとでてくるんだ。
でてくると考えずにはいられないんだ。
いないものがいるんだ。
俺だったかもしれないやつがいるんだ。
奴は俺だったかもしれないんだ。
いないのに、死んだのに、いて、生かされてるんだ。
お父さんも