孵化
2018/12/26
久米と旅行に行ったのは三月の終り近くだった。
新学期になる前に行っちゃおうってんで、
無理して予定を組んだものだ。
「あんま観光地らしいとこ行きたくねぇなぁ」
等と言うものだから、
街から少し遠い山間の宿になった。
宿の傍には川が流れ、
その川を下っていくと街に出る。
とはいえ、街に出て何があると言うわけでもないので、
俺達はぶらぶらしたり温泉を探したりして1日を潰した。
山間の日は傾くのが早いか、
既に道も空も赤々と燃え立つようだった。
俺達は川べりを歩き、
橋の上から赤錆色の川を眺めていた。
「おはっ、アレは、おい……うぇ」
久米が奇声を上げて指差したので、
俺はつられて川上を見た。
「なんだ。箱……舟……?」
それは四角い箱の様な物に乗せられた
2体の人形だった。
俺は川べりに向い、
その舟を迎え入れる様にして、
手を伸ばした瞬間
「バカッ!触るな!」
と怒号とともに引き摺り倒された。
「な、なにしやがんだよ!
くそっ!濡れちまったじゃないか」
「冗談じゃないぞ、馬鹿!!
……何考えてんだ、お前……」
久米は胸を大きく上下させる、
その顔は青かった。
「なんだよ、どうしたんだ」
「今日は何日だ?」
「は?今日?27じゃないか?」
久米は逆算する様に指折ると
ハッとして顔を上げた。
「いぃぃ……やっぱり……重用だ……」
俺は彼の動揺をよそに川に目を落した。
人形の舟はゆるゆると川を下っていった。
「アレがどうかしたのか?」
「なに?どう?どうもこうもあるか!」
ちょっと息を止めてからゆっくり吐いて
「あぁ……へ、へ、へっ……あれはヤバいっつんだよ」
と言ってさっさと背を向けて歩いていく。
俺はそれを追いながら問いかけたが、
芳しい答えはかえってこなかった。
「あ~、かわい~」
はしゃいだ女の声だった。
久米は跳ねる様に振り返ると、凍り付いた。
カップルがその舟を抱えてニコニコと笑っていた。
固まった俺達の気も知らないで、
二人は笑って会釈した。
「やっぱりぃ、日本の心みたいな、
風情みたいなのがあるじゃないですかぁ」
等と自称日本好きの二人が
固まりきった俺達に話し掛けて来たが、
久米は明らかに不快そうな顔をしていたので、
代りに俺が受け答えをした。
「えぇ~、二人とも宿一緒じゃないですかァ~」
と男が言った、
久米は増々不快そうな顔をした。
宿へ着いた後も久米はしかめ面のままだった。
「おまえ、ほんとにどうしたんだよ」
「あ……?話は、な、帰りにしてやるよ、な。
今は言いたくない……。それよりメシだ。メシ食う」
籐椅子をバンと叩いて立ち上がると、
食堂まで駆ける様に歩いていった。
出された夕食はたいしたものではなかったが、
何故かイナゴという下手物が入っていた。
「俺はコレ、食えないな」
「いいじゃねぇかよ。腹に入りゃ……」
と話していると
「あ~」
という声。
なんだ?と思って振仰ぐと
さっきのバカップルが立っていた。
ニコニコと俺達の横に席を取ると、
べらべらと喋りながら次々に料理を口に運んだ。
イナゴも平気そうに口へ運ぶ、
何故かその時、その様がえらくゆっくりと見えた。
そのイナゴは腹が白かった。
白ゴマの様なものが和えてあって……
うっ、と久米がえずいて席を立った。
俺もそれを追って席を立ち、
彼を介抱しながら部屋へ向った。
「おい……お前、あれ見たか?」
「あれって、あの白いやつか?」
「ありゃ卵だ……」
イナゴの腹に付いている……
ビッシリとくっ付いていたのは……
「違う、お前。見えてなかったんだな……
あいつらの料理、どれもこれも表面真っ白だったじゃねぇか……。
皿の上一面、卵で覆われてたじゃねぇかよ……」
部屋に着くと彼は青い顔で倒れ込んだ。
「なぁ、そろそろ教えちゃくれないか?」
「うん、ああ……今日はひな祭りだ……」
「え?」
「重用だ。上巳だったんだなぁ……クソッ、忘れてた……」
「何言ってんだよ?3日はもう過ぎてるぜ?」
「陰暦の3日だよ、今日は。
重用ってのは月と日が重なる日の事、とくに奇数月」
「でも、ひな祭りっつったって別に舟で流しゃしないだろ。
寺山修司じゃあるまいし」
「流すんだよ」
「なんで?」
「……いいか。雛祭は女の子が人形を飾る祭じゃないんだ。
祭と言うのは“神奉り”。人形は形代、憑坐だ。
しかも春の節供だ。
季節の変わり目、穢れを払って新しい春を迎えなければならない。
だから人形に穢れを移し、荒魂を流し、和魂を呼び込む。
あの人形はそういう人形なんだよ」
「つまり?」
「鬼ごっこと一緒。
人形にタッチして禍いを移して、異界に流す。
村の外に出てたらもう帰ってこないからな。
つまり、あの人形に触ると……そいつが鬼になっちゃうんだよ。
禍いが移されるんだ。
……普段、この地方ではやらない様だからな……
余程、流さねばならない禍、があったんだろう」
「あ、あのカップルは……」
「さぁ、な?境を越えたら……どうなることやら……」
で、翌朝。
彼等と帰りのバスではち合わせた久米は、
瞠目して固まり、俺に耳打ちした。
「あのバカップル……顔……あるか?」
チラ、と見ると確かに顔はあるが、
どことなく白んでいてぼやけているような気がする。
「真っ白だ」
「え?」
「見えねぇ、冗談じゃねぇよ」
彼にはカップルの顔は見えないらしい、
俺には良くわからなかった。
俺達に気付いたカップルは会釈をして、
バスに乗り込んだ。
俺達は彼等の後ろの席に座った。
「ひぃ、ふぅ、みぃ、よ、いぃ、むぅ、なぁ、や、こぉこぉの、たり……」
と数えながら久米は一から十までをピラミッド上に書き、
その紙をポケットに入れた。
バスはゆらゆらと山道を下っていって、
俺達はいつの間にか町に入って、
はずれまで出ようとしていた。
と、突然、久米が俺の腕を引いて立ち上がり、
降車のボタンを押す。
せわしなく動きながら早くしろと合図するので、
俺はどかどかとバスを降りた。
「なんだよ、もう!」
「孵りやがった!」
久米はポケットに手を突っ込んで、
行こうとしているバスを見つめた。
「かえる?なにが!?」
「境を越えたんだ。あの卵、長いのを孵しやがった」
「だから、なにが!!」
「卵だよ、卵!顔が見えねぇっつったろうが!
やつら顔一面にびっしりと白い卵が植え付けられてた!
それが、おまえ一斉にな。
顔から動く毛がはえたみたいに一斉に……
長いのが孵りやがった」
「まさか」
と俺がバスに目をやるとバスが動きだして、
チラリとその女の顔が寝返りをうった。
顔は腫上がって真っ赤だった。
小さいニキビの様なものが隙間なくプツプツと湧いていた。
俺達は行くバスを見送って立ち尽くした。