ききょうの間
2018/10/08
1998年8月、お盆休みに当時高崎に住んでいた友人と連れだって、ドライブに出かけた。
特にあてもなく、関越を水上で降りて利根川の源流や尾瀬を抜けて日光等々、ふらふらと。
午後になり、さて宿をどうするかという段になった。
当時、月2箇所ぐらいのペースで出張のある仕事に就いていた私は、前日当日に宿を取るなど朝飯前と自負していた。
ガイドブック片手に携帯であちこち電話をしたが、時期はお盆の真っ最中、しかも週末とあって、近場の温泉宿は殆ど満室。
友人にうそぶいていた私の額に、うっすらと汗が浮いてきた頃、○神温泉の文字が目に入った。
当時この名前を知らなかった私は、
「ここはマイナーだろ」
と思い、とりあえず目に留まった一軒の宿に電話した。
名前は○○荘。
ホテル~や~旅館など器の大きそうな宿にことごとく振られていたので、この名前が真っ先に目に付いた。
電話には番頭格らしき中年男性が、比較的丁寧な物腰で出た。
「これから2人なんですが、空いてます?」
「え~っとですね、う~ん、少々お待ち頂けますか?」
対応は微妙だった。
1分近く待たされ、こりゃ次あたるかと電話を切ろうとした時、
「もしもし」
と、先ほどとは別の中年女性が対応に出た。
「今どちらですか、一応、手狭になりますが一部屋ご用意できますが」
「1時間ほどで着けると思います、お願いします」
日も傾きかけてきていた。
即決だった。
宿は案の定古かった。
歴史を感じさせるなどという情緒などなく、築20~30年くらいの単なる古びた2階建ての宿だった。
2階の突き当たりにある
「ききょうの間」
という部屋に通された。
6畳間に2畳程の板間とトイレが付いた、本当に狭い部屋だった。
おそらく、普段は従業員が使用してる部屋なのだろう。
仲居さんは、しきりに「すいません」と繰り返していた。
風呂は以外にも広く、温泉はかけ流しだった。
「だろっ」
っと、ほくそえんだ私を見て友人は
「まあまあだな」
と笑った。
朝が早かった為、夕食のビールが効く。
途中トイレにたつと、2人の仲居さんが私を見て立ち話を中断し、妙な愛想笑いを浮かべた。
睡魔が程よく回っていた為、さほど気にしなかった。
友人の驚異的な大イビキで目が覚めた。
部屋の明かりは友人が消したのであろう。
さて、寝たのは何時だったのか…
ぼ~っとした頭で考えて、さぁもう一眠りだと思うが、隣がうるさい。
「んっ?」
と思った。
右手に板間がある位置のふとんで寝ていた私は、仕切りの障子が開いていることに気づいた。
何故か気になる。
普段ならどうでもいいことが、何故か気になる…
「閉めなきゃ、閉めなきゃ」
と何故かしきりに思っている。
体を起こそうとした瞬間、金縛りにあった。
幼少の頃から疲れたとき、金縛りにあうことには慣れていた私は、「またかよ」とうんざりしながらも、少しづつ気合を入れて解く作業に転換した。
だが、いつもと違う。
頭は金縛りを早く解かねばと考えているのだが、目を板間の方向から離せない。
それでも、指先から徐々に動くよう気合を入れる。
恐怖感よりもこの動けない苦痛が嫌いだといつもは思っているが、この日は何故か怖い。
真夏の空調も無い部屋なのに、体温が低下してゆくのが分かる。
どのくらい時間がたったのか、なんとか金縛りが解けた。
浅く持ち上げていた体を、ゆっくりとふとんに沈めた。
耳鳴りがしていたので気づかなかった
が、友人はまだ大イビキをかいている。
「うるさいな」
と寝返りをうった。
軍人がいた。
私と友人との間に軍人、いや、正確にいうとそれらしき帽子を目深にかぶった者が正座し、板間の方向を凝視していた。
気が付くと朝だった。
「おはようさん」
と朝風呂からサッパリした顔の友人が戻ってきた。
「イビキうるさいよ」
と軽く文句を言いつつ、昨日のことは夢だろうと記憶を打ち消していた。
板間の古びた赤いビニールの椅子に腰掛けようと引いたとき、ふと気づいた。
その椅子には、うっすらと埃がかかっていた。
その時思った。
この部屋は普段人の出入りが無いんだな、何らかの理由でと。
大広間での朝食の時、電話に出た女将らしき人がいたので、それとなく聞こうかとも思ったが、忙しそうなのでやめた。
というより、その時点でも今でもあれは夢だと思っている。