振り袖火事
2025/01/22
振り袖火事と呼ばれる火事が江戸時代にあった。
2日間も燃え続け、江戸の大半が焼け野原になったというとんでもない大火事。
この火事の原因についてはいろんな憶測や説があるんだけど、三カ所から出火しているので、公儀によっての焼き払い説まである。
これが振り袖火事と呼ばれるようになったのは、出火当日、本郷本丸の本妙寺で変わった供養が行われていて江戸でちょっとした話題になっていたから。その供養とは一枚の振り袖を焚き上げるもので、紫縮緬地に波の砕ける磯と菊を染め出し桔梗の紋を付けたそれはそれは豪奢な振り袖。
だがこれにはいわくがあった。
この振り袖の来歴は、まずはウメノと言う遠州屋彦左衛門の娘。この娘が一家で花見に行った際、あまりにも麗しい寺小姓(寺のお稚児さん)を見かけ、一目惚れしてしまい親にねだって、この小姓が着ていたのと同じ柄の振り袖を仕立てさせた。それを抱きしめたり話しかけたりして居るうちに、想いが高じて病みついてしまった。
親は娘が片思いで恋煩いにかかったと知りどうにかしようと小姓を探したが見つからなかった。そうこうしているうちにウメノは、日に日にやせ衰え枕があがらなくなり、正月についには想い死にしてしまった。親は本妙寺で娘の供養をしたあと、その振り袖を寺に寄進した。
寺としては女物の振り袖などどうしようもないので出入りの古着屋に払い下げた。
ところがこの一年後の正月にまたこの振り袖が本妙寺に戻ってきた。今度は、おきのという紙商の大松屋又蔵の娘の棺に掛けられて運び込まれたのだ。そしてまたおきのの親も、娘が大切にしていた物ですのでと寺にこの振り袖を納めた。
寺もよもやとは想いながらも、また古着屋に払い下げる。が、また一年後の正月、またまたこの振り袖が掛けられた棺が寺に運び込まれた物だから、寺僧たちも肝をつぶした。今度は本郷元町の麹商の喜右衛門娘、おいくというまた年若い娘だった。
さすがにこれ以上この振り袖を払い下げることもできず、焚き上げてウメノの供養をすることになった。だが僧たちが読経しながら振り袖を火にくべると、突然風が巻き起こり、火のついた振り袖を天高く巻き上げてこの振り袖が本堂に落ちるや、棟木に燃え移り、大騒ぎしている町人たちが見ている間に本堂が火に包まれた。この火が周りに燃え広がり明暦の大火になったと言われている。
まあ、講談みたいな作り話だとは思うがこういう話があったりする。