不思議な野原
2023/10/15
私の実家近くには徒歩三分で行ける山に面した神社があります。
幼い頃は近所の同年代の子達が集まって設置してある遊具で遊んだり、
自然が豊富だったため木の実を使ったりしたおままごとをしたりしてよく遊んでいました。
集まった子の中には山の崖のようになっている所を登ったりした少し危険な遊びをしたりもしていました。
その日は秋に差し掛かり雲が厚く少し薄暗いため神社に子供の集まりがあまり無い日でした。
私は一緒に遊んでいた子と二人で神社に何をするのでもなく居たのですが
そんな私たちの前に近所に住む顔見知りのお兄さんがやってきました。
お兄さんは私たちに一緒に遊ぼうと誘い、良い所に案内してくれると言いました。
お兄さんは崖登りをよくしていて、その時見つけた場所に私たちを連れて行ってくれるとのことでした。
私たちは先を進むお兄さんの後を懸命に着いていきました。
今思うと子供がやる崖登りと言うよりも急な山道を草を手にしながら進んでいく危険な物だったと思います。
「着いた」 そうお兄さんが言った場所は先ほどまで進んでいた急斜面とは違いただの広い野原のような所でした。
そして尚も歩くお兄さんに着いて行くと一本の大きな、葉が何もついていない木がありました。
山の中だというのにその木の周りには何故か他に木が生えて無かったのを覚えています。
そして木には真ん中辺りに大人一人が入れるほどの穴のような、裂け目のようなものがありました。
山とは思えない平らな広い場所、その真ん中にある葉の無い穴の開いた大きな木
辺りには風すら無く物音も何もないそんな不思議な空間の中に私たちはいました。
その日私たちは特に何も喋らず五時になる事を告げる鐘の音を聞き家に帰ったのですが、
後日一緒に行った友達と二人だけでその木の所へ何度か行こうとしたのですが何故か行く事は出来ませんでした。
お兄さんの後を着いていったのできっと覚えている道が違うのだろうと言うことになり次第にその場所へと
行こうとすることも無くなりました。
お兄さんに連れて行って貰えば良いとも思いましたが、お兄さんは私たちに近づく事も話しかけることも
しませんでしたし、私たちもそれをしませんでした。
第一に私たちとお兄さんが話したのは遊んだ時が初めてであり、それまではただ近所にこんな子がいる程度の
認識だったはずです。
私は一年ぶりに実家に戻ってきて神社のある山を久々に何となく見ていたのですが、
不意にこの幼いときの出来事を思い出しました。
そして、山は小さくあの広い空間があるとはとても思えないということにも気づきました。
一緒に行った子にこの話しをしても覚えていないと言われ、お兄さんが今どうしているのかは確かめられないため
私はこの出来事を思いだしてからもう一度山に入りあの空間を見つけたいという思いを抱えています。
ですが、最近の神社は遊具も古くなったため撤去され地元の子供の数も少なくなったためそこで遊ぶ子供も居なくなり
昔とくらべてとても寂しい場所になってしまいました。
あの時お兄さんはなぜ話した事も無い私たちをあの場所へと誘ったのでしょうか?
山は小さくあの場所があるとはとても思えません、ならばあの時私はどこへ行ってしまったのでしょう?
そして、あの木の真ん中に開いていた穴は、まるで誰かがその場所に居るかのようでした。
私はあの日、行っては行けない場所へと連れて行かれ
最近になって、思い出してはいけない記憶を呼び覚ましてしまったのではないのでしょうか。
私がもし山に入りあの場所を見つけたとしても、昔とくらべ薄ら寂しい神社の今となっては
無事家へと戻されるのか不安でしかたありません。
以上です。お目汚し失礼します