呪いの店
2021/06/13
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創作ではありませんが、会話を中心に脚色しています。何分にも小学5年の頃の話なのでご容赦ください。
子供の頃、みんなが顔見知りみたいな商店街の傍に住んでた。
商店街は新宿から20分くらいの私鉄の駅前から始まって、中程にパン屋、時計屋、寿司屋が並んでいた。
この3軒は同じ大屋さんの物件で、向かいには葬儀屋があった。
小3の終り頃、ずっと休業していた時計屋さんがうどん屋さんになった。お店は子供にも繁盛しているように見えたけど、なぜか親たちは行こうとしなかった。
その夏、幼稚園から一緒のトコとミイとお風呂屋さんの帰りにうどん屋さんの前を通った。
真っ暗な2階の雨戸が少し開いていて、そこから誰かが顔を半分覗かせていた。
「何してるんだろね」 3人で2階を見上げて通り過ぎた。たぶんお店の人だと思ってた。
その後しばらくしてうどん屋さんは休業し、やがて閉店した。
ご主人が心臓を悪くして入院し、亡くなったと聞いた。それから中華屋さんが出来た。
ここも安くて美味しいとかで、たくさんお客さんが来てたのに、うちの親は行こうとしなかった。
考えてみれば外食好きの両親が一度も足を向けないのはおかしかったけど、その頃は「お蕎麦屋さんにわるいから」とか「焼肉屋のおばさんがかなしむよ」とかの理由に納得していた。
それはうちだけでなく、トコやミイの両親、クラスメートも少なからずそうだった。
お店が出来て3か月くらいで、まだ若かったのに中華屋のご主人は心臓発作で亡くなった。
小5の1学期、そこは喫茶店になった。お店のカナという女の子が同じクラスに転校してきて、すぐ仲良しになった。
母子家庭で、喫茶店はお母さんがひとりでやっていた。カナは学校から帰るとお店に寄って、お母さんが7時にお店を閉めると一緒にアパートへ帰っていった。
その年の夏休み、トコとミイと塾の帰りに喫茶店の前を通った。2階の雨戸が少し開いていた。
8時過ぎには誰もいない筈なのに、また誰かが雨戸の隙間から外を覗いている。
真っ暗で顔は見えない。雨戸に掛けた手が真っ黒に見えた。
「カナんちの2階に誰かいるよ。」
トコが振り返って言った。
「うん、あたしも見た。泥棒じゃない」
歩きながらひそひそとミイも言った。
3人で立ち止まって振り返ると、その黒い影はまだそこにいる。泥棒だっと、まだ明かりの点いていた葬儀屋さんに飛び込んだ。
でも葬儀屋のおじさんは「大丈夫だよ。早く帰りな。」と言って、裏口から別の道を通って送ってくれた。
勿論、両親に話したけれど「そんな話は誰にもするな」「葬儀屋さんに任せておけ」と言われた。
葬儀屋さんは喫茶店の真向かいにあったので、おじさんは何か知っていたのかも知れない。
カナのお母さんの喫茶店は朝7時に始まる。メニューはコーヒーとモーニングサービスとサンドイッチだけだった。
思い出すと涙が出るのは、カナが日焼けした腕にコーヒーの入った魔法瓶とサンドイッチの大皿を持って歩いていく姿だ。
美容院、産婦人科、保育所とか出前専門のお得意様がいて、カナは夏休み中ずっと出前とかお店を手伝っていた。
黒い影を見た翌日、トコとミイと相談して学校のプール帰りに喫茶店に行ってみた。出前のない時間帯で、カナはお店で宿題をやっていた。
3人で代わる代わる夕べの話をした。カナは見間違いだよ~と言う。
「だって2階は上がれないもん」そうして喫茶店の周りを案内してくれた。
真裏に2階へ通じる外付けの階段があり、1階から2階のドアの手前まで鉄条網でぐるぐる巻きにしてあった。
ドアのある場所には大きな板が何枚も打ち付けてあり、ドア自体は見えなかった。左右にある窓らしき場所も板できっちりとふさがれていた。
お店の中に階段はなかった。2階は大屋さんの物置で誰も入ったことはないらしい。
カナは自分達の話を相手にしてくれなかった。それぞれ家に帰り母親に報告すると、人のことを嗅ぎ回ったりするなと物凄い勢いで怒られた。
トコもミイも同じように怒られたらしい。その理不尽さからどうやら母親たちが何か隠し事をしていることに気づき始めた。
そうしていちばん頭の良いトコが理解した。2階には中からも外からも入れない。泥棒はいったいどうやって中に入ったのかと。「霊」3人同時にその考えが浮かんだ。
霊という思い付きに3人ともぞくぞくわくわくしていた。その時まで噂はゼロでもなかった。連続してお店の人が二人続けて亡くなっている場所だったし、「呪いの店」とかいう子もいた。
呪いからカナを守らなきゃ!
アホな使命感で自分達が向かったのは学校の近くにある八幡さまという神社だった。
呪いに効き目のある御守りを買い、カナにあげようと。問題は同じクラスのシノがその神社の娘だったことである。
案の定、神主さん(シノのお父さん)はすぐシノを呼んだ。いかにも秘密めかしてやって来た自分達を見て、黙って帰らせる筈はない。
絶対に秘密を誓わせて理由を話した。そうするとシノはとんでもない事を言った。
「うちのお父さん、あのお店に3回はご祈祷に行ってるよ。2階の窓に誰かいたって近所の人も見てるって」
「大屋さんとお巡りさんがうちに来たこともあるよ。2階には誰も入れないらしいよ」
「でも噂が広まるとお客さんが来なくなって、カナのママ困るでしょ。だから絶対に言うなって」
カナが相手にしてくれなかった訳が解った。それから自分達もシノもその話はしなかった。
冬休みに入って、喫茶店が急にお休みになった。電話しても、アパートに行ってもカナもお母さんもいない。
担任の先生に聞きに行くと、お母さんが病気だということ、実家のある地方の病院に入院したこと、カナはお母さんの実家にいることを教えてくれた。
カナと連絡がとれないまま、3学期が終わる前にカナのお母さんは亡くなった。
そうしてカナにはもうさよならも言えないまま別れてしまった。
自分達は中学生になり、トコはお父さんの転勤で関西に、ミイは遠方におうちを新築、自分は下町に転居して高校に進学した。
ときどき連絡は取り合ってはいたものの、昔住んでいた商店街に足を向けることはなかった。
成人式を迎えて、何年ぶりかでシノの実家である八幡さまに皆で集まった。
その時初めてシノのお母さんからあの店の話を聞いた。
うどん屋さん、中華屋さん、喫茶店のあった店は、いちばんはじめは時計屋さんだった。
時計屋さんは30才くらいで店を継いだけれど、人嫌いで客商売が出来ず、親類とも縁を切ってしまった。その後お店を休業して閉じこもってしまったらしい。
電気も電話も止められてしまい、大家さんは仕方なく家賃の回収を諦めてしまった。
初めはいろいろ気にかけていた商店の人たちもだんだん忘れてしまったというか、気にしなくなってしまった。
かなり長い時間が過ぎたあとの夏、両隣のパン屋さんとお寿司屋さんは、物凄い数の蝿に気づいた。
大家さんは交番に駆け込み、お巡りさんは鑑識の人と施錠された階段の扉をこじ開けた。
黒い羽音、うねる白い波、血走った眼の小動物に埋め尽くされた部屋を。
死因は衰弱死。デスクにあった帳簿の最期のページに「ダレカ タスケテ」と書かれていたらしい。
シノのお母さんは腕をさすりながら言った。
「だからうちはあそこのお店に行けなかったのよ。みんなのお母さんもたぶんそうよ。来てたのは団地の人と線路向こうの人よね。次々に人が亡くなったことまでは知らないし。でも借り手はすぐ来たわよ。だって相場の半値の家賃だったんだもの」
カナのお母さんが亡くなった後、大家さんはお店を倉庫にしてしまった。今も誰にも貸していないらしい。
身寄りのいない時計屋さんのお葬式は、商店街と町会で出した。お向かいの葬儀屋さんが殆どタダでやってくれたそうだ。
近くのお寺にお墓を建てて、永代供養もお願いした。お墓参りだって欠かさなかった。お店はキレイにリフォームして、新築同様にした。
それなのに・・・