汚れたワイシャツを探す男
2020/10/16
日本がまだまだ貧しかった、昭和31年の話。
東京E区に住んでいたA子さんが近所の小川で、1枚のワイシャツを拾った。
ちょっとした汚れはあったけど、洗えば落ちそうだし、綺麗にして父親にあげようと彼女はそれを持ち帰った。
今なら考えられない事だけど、当時の庶民の生活水準からすれば、わりと当然の感覚だったらしい。
その日の夜、近所にお使いを頼まれたA子さんは、とある田んぼ道を歩いていた。
当時は家も建てこんでいなかったし、ぽつんぽつんと設置された街灯の頼りない光で、周囲の様子がぼんやりとわかる程度。
その薄闇の中、ふとある光景がA子さんの目に飛び込んできた。
ごそごそと動く黒い塊。
よく見ると一人の男が道端にかがみこんで、何かを懸命に探している。
視界の効かない夜の田んぼで、明かりも持たずに探し物…?
薄気味悪く思ったA子さんがそっと引き返そうとした時、男が突然振り向いて言った。
「ワイシャツを返してくれ…」
A子さんは悲鳴を上げ、必死で家に向かって走り出した。
ワイシャツ!?昼間拾った、あのワイシャツの事だろうか。
そうに違いない。
でもどうしてあの男は、自分がワイシャツを拾った事を知っているのだろう。
まだ誰にも話していないのに。
命からがら何とか逃げ帰ったA子さんは、父親に事の次第を打ち明けた。
田んぼで探し物をしていた男が、たとえ生きた人間にしろ話は尋常ではない。
結局翌朝を待って、A子さんは父親に付き添われ、近所の警察にワイシャツを届け出た。
しばらくして、強盗殺人犯が逮捕された。
逮捕の決め手になったのは、A子さんが拾ったあのワイシャツだった。
あのワイシャツは、殺人犯が捨てた被害者のワイシャツだったのだ。
付いていた汚れは、被害者の血液だった。
あの時A子さんが田んぼで見た男が、現場に舞い戻った犯人だったのか、被害者の霊
だったのかはわからない。
ただ、A子さんは幽霊だったと信じている。
そして、A子さんの届け出たワイシャツが有力な物証となり、逮捕に結びついたというのは、
担当の刑事が事件解決の打ち上げ式の席上で、新聞記者に語った紛れもない事実だった。