タツノオトシゴの人形
2020/07/28
大学で民俗学のフィールドワークをしていたころの話だ。
民俗学専攻の学生はどこか一つの村に住み込んで村の伝承を調べさせられるんだけど、
おれが行った(地図を見て適当に選んだ)A村には、行ってみるとよくわからない伝承があった。
伝承というより信仰なんだ。あちこちの家に行くんだが、そのどの家にも、タツノオトシゴをかたどった小さな木の人形がある。
村の人たちはふつうにそれをタツノオトシゴと呼んでいる(特に様をつけたりしない)が、どうやらこの村の神にあたるものらしい。
人形は、代々受け継ぐ一家に一つのもの、とのことだった。
A村は海が遠いんだ。だから、なんでこの地域の神が海のものなのか、不思議だった。
それともう一つ、神がお守りのようなかたちで各家庭にあるのも珍しいケースだった。
おれは研究テーマをこのタツノオトシゴにすることにした。
だが調査はすぐに行き詰った。
神社をあちこち見て回っても、全然関係ないふつうの神が祀ってあるし、神社の古文書を見せてもらっても何も出てこない。
年寄に聞いても「昔からのものだ」というだけで言い伝えのようなものもない。
小さな村だから、村史も編纂されていなかった。
これは結果につながらないと思って、おれはタツノオトシゴの調査をあきらめ、大学には無難に農耕道具のことを書いたレポートを出した。
数年後、院生として民俗学を続けていたおれは、ある本を読んだ。
それは戦前の「身売り」の時代(昭和恐慌のころ)のいろんな事例をまとめた本だった。
その中に、あのA村の名前を見つけた。要約すると、こんな感じだ。
昭和恐慌で日本中が貧しくなって、あちこちの村で必死の対応が図られた。
多くは身売りをはじめとする、身を切るたぐいのものだった。
そんな状況下で、A村から、化石が発掘された。えらい大学の教授が来て調査すると、それはタツノオトシゴらしいとわかった。
A村は昔海だった地層があるわけでもなく、こんなところからタツノオトシゴが出てくるのは謎だ、という話だった。
それで終わればよかったものを、A村の人々は、これを見世物にして村の活性化を図ろうとした(いまの観光行政の町おこしに似たことは昔からあったんだな)。
役場にタツノオトシゴを見せる場所をつくり、
さらには村の有り金ぜんぶを費やして、タツノオトシゴ人形を作った。
だが、全国的な貧困のなかで、その計画が成功するはずはなく、
この一件が引き金となって、A村は壊滅した。
壊滅。すごい言葉だと思う。
A村の謎が少しとけた。あのタツノオトシゴはもともとおもちゃだったのだ。
一家に一つあったものは、おそらく、売れ残った大量の人形のあまりだろう。
しかし、一見話の筋が通ったように思ったが、よくよく考えるとおかしな点があった。
壊滅的状況下で、あのタツノオトシゴが、どういう過程を経て神となったのか。
壊滅の原因となったタツノオトシゴを神と思うまでの想像を絶する心理状況だ、と言ってしまえばそれまでかもしれないが、
(偶像は信仰の対象となりやすい、というし)
それにしてもおもちゃが神になるだろうか。
そもそも、あの村からタツノオトシゴが出土したこと自体、おかしかった。
(だからこそそれを奇跡としてA村は観光資源にしたのだけど)。
おれは、なにか禍々しいものを感じた。
戦後、A村には文化が流入して豊かになったが、今でも彼らはタツノオトシゴを持ち続ける。
地理的に閉鎖しているあの環境では、将来的にもタツノオトシゴは生き続けるだろう。
気味が悪い、と思った。