夢日記
2019/10/28
夏目漱石の夢十夜って小説を知ってるか?
夏目漱石が自分の見た十個の夢を綴ったものなのだが
それが何故か気に入った俺は漱石がつけていたという夢日記をだいぶ前に携帯のメモ帳でつけ始めたんだ。
もともと夢をあまり見るほうじゃなかったが夢日記を付けるようになってから見た夢を覚えていることが多くなった。
そうしてかなり夢日記が充実してきたある日のことだった。
毎朝起きた後、忘れないうちに夢日記を付けることにしているのだがその日の欄が編集されていた形跡があったんだ。
日付が変わってからメモ帳を開いた覚えはなかったがメモ帳の本文が無かった事もありその時は深く考えずにいた。
しかし、つぎの日の朝メモ帳を開いたときには目を剥いた今度はメモ帳に本文が追加されていたのだ。
”あぜ道走る”
ただそれだけ、単語の箇条書きという夢日記は丁度日記をつけ始めた頃の夢をよく思い出せなかった俺の書き方によく似ていた。
夜中に起きた時に寝惚けながら書いていたのだろうか?
だがそんな記憶は欠片もないどうにも腑に落ちない感覚を抱いたが俺にはそれを確認する術はなかった。
だがそのつぎの日もそのまたつぎの日も俺の知らぬ夢日記は追加され続けた。
どうやらその夢日記によると毎日同じ夢を見ているらしいそして日を追う事に日記の詳しさは増していった。
俺はその日記を見ているうちにあたかも趣味を共有している誰かがいるように感じられて親近感を覚えていった。
明らかな異常性は自分に害がないということで少しずつ麻痺していた。
”あぜ道 走る 田舎 田 山”
”あぜ道 走る 田舎 田 山 会社を休んだ 何かに必死だ”
”あぜ道 ただ一人走る 田舎 田 山 会社を休んだ 何かに必死だ 俺は何かから逃げている”
”俺は何かから逃げている だがもうすぐ捕まる”
”もうすぐ捕まる もうすぐ捕まる だが捕まる訳にはいかない”
”捕まる訳にはいかない 捕まる前に何かしなければならない どうして追いかけられているのかわからない”
それに反して日記は切迫さを増した。
ある日からは状況がより詳しくなった。
またある日からはその時の感情が説明されるようになった。
日記の長さも増していった。
その不可思議な日記はある日を境にぱったりと止んだ。
最後の日の日記は長かった。
結局俺はその日記を見ても誰の夢なのか、何の夢なのかそれが何を伝えたかったのかは分からなかった。
”逃げなければならない いつか必ず俺は捕まるだろう
だが何としても捕まる訳にはいかない だから俺は逃げなければならない
後もう少しで俺は逃げきれる 体が重い だがもう奴らに俺を捕まえることはできないだろう
俺は取り返しのつかないことをしてしまった 俺は人を殺した
これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ これは忠告だ”