灰になる前に
2019/04/10
私が大学に入学してすぐの頃、
母方の祖母が倒れた。
ただの大腿骨骨折だったのだけど、
高齢のせいもあってなかなか治らず、
長期に渡る入院生活を強いられることになってしまった。
祖母はすごい頑張り屋だったから、
リハビリも頑張っていたけれど、
全身が骨粗小症状態になっていて、
色々なところがどんどん壊れていく状態に陥り、
しまいには寝たきりになってしまった。
結局亡くなるまで6年間の闘病生活だった。
私はこの祖母のことがとても好きで、
お見舞いにそれなりに行っていた。
母はほぼ毎日通っていたけれど、
私は休みのときにチョコチョコ行くぐらいしかできなかったけど。
他の孫たちは滅多に来なかったから、
私が来ると祖母も嬉しかったようで、
私が帰る前には必ず祖母の乗った車椅子を押して、
病院行脚wをするのをお願いされた。
看護士さんや他の患者さんに、
孫と一緒にいる姿を自慢したかったみたい。
書いていると涙が・・・。
そんな祖母がいよいよ具合が悪くなって、
私が会いに行ったときには、もう虫の息だった。
最後まで意識ははっきりしていたから、
死を迎えるのをとても恐れていて、
眠気を追い払うために胸をさすっていて欲しいと
しきりにねだった。
痩せてしまった祖母の胸をさすりながら、
私は祖母が明日には死んでしまうことを自覚した。
不思議と涙は出なかった。
そして次の日祖母は亡くなった。
タイミングの悪いことに、
私はその時試験期間真っ最中
(大卒後、専門学校に入学していたので)。
なので、お通夜には出れず、
次の日の告別式に試験が終わってから行く事になった。
その日の試験科目は2教科。
90分×2なので、
午前中いっぱいはかかってしまう。
でも試験開始後から30分経てば退出できるので、
2教科目は30分で終わらせて、即座に斎場へと向かった。
学校から斎場までは電車で30分、
そのあとタクシーで20分。
私が着くころには、
すべて終わってしまっているかもしれない
ようやく斎場に着いた。
とても大きな斎場で、
その日も何組もの葬儀が執り行われていた。
だから沢山の部屋の中から探して、
祖母の所に即座に行くには、
難しかったはずだった。
でも不思議なことが起きた。
タクシーから慌てて降りて、
斎場のエントラスンスに走って向かおうとしたら、
私が足を踏み入れるまえに、
自動ドアが勝手に開いて、
中から従業員の方が出てきて、こう言った。
「○○様(私の名前)お待ちしておりました。こちらです」
そして私を案内して、
祖母のところまで連れて行ってくれた。
扉を開けると、
ちょうど出棺前の献花が終了する所だった。
私がほんとに最後の弔問客。
ぎりぎりで間に合った。
祖母に最後に一目会うことが出来たのだ。
私が最後の最後で現れたこと、
しかも迷わずに来れたことを、
家族はとても驚いていた。
それぐらいその斎場には、
沢山の会場があったから。
私は会場にいる親には、
着いたこと事など連絡してなかったから、
なぜあの時即座に従業員の方が対応してくれたことか、
不思議でしようがなかった。
あの時、従業員の方に案内してもらわず
自分で探していたら、電車が一本遅れていたら、
タクシーが即座に捕まらなかったら、
確実に間に合わなかった。
いろいろな奇跡が連続した結果だった。
もしかしたら、祖母が灰になってしまう前に、
私に会いたいと思ってくれたのかなと思っています。
祖母:孫が着いたから迎えに行け>従業員の方:電波受信
みたいな感じで。
ありがとう。
大好きだよ。おばあちゃん。
もっといっしょにいたかったよ・・・。