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電話

2018/11/04

高校2年の夏、姉が死んだ。
21歳だった。
一人暮らしをしていたマンションの屋上からの飛び降り自殺。
動機は不明。
家族の中で姉と最も親しかった私にも、
自殺の原因は全く見当がつかなかった。
葬儀の翌日、姉の住んでいた部屋を引き払うため、
朝から母と私で荷物の整理をしていた。
二人して黙々と働いたので、夕方にはほとんど段ボールに詰め終わり、
それを玄関先に積み上げてから自宅に戻った。
夕食後、姉の部屋に携帯を忘れたことに気付いた私は一人家を出た。
9時頃だった。
マンションは自宅から自転車で10分くらいのところにある。
部屋に上がり明かりを点けると、携帯はすぐに見つかった。
床の真ん中に落ちている。
腰をかがめて拾い上げると、電話のベルが鳴った。
私の携帯の着信音ではない。
振り返ると、台の上に置いてある電話が光っていた。
一瞬迷ったが、受話器を取る。
「もしもし…」
最初は何も聞こえなかった。
ノイズが酷い。
電波状態の悪い携帯から掛けているみたいに。
なぜか、誰かが息を殺しているイメージが頭に浮かんだ。
果たして、しばらくそのままでいると
雑音の向こうから微かな息づかいが聞こえてきた。
「誰?」
返事はない。
ただ、息づかいが少し荒くなったような気がした。
その背景、少し離れたところで何かの声。
雑音にまぎれて、
『…クス‥クスクス…』
小さく笑い合う声が、受話器越しに聞こえた。
急に寒気を感じた。
背中がゾクゾクする。
なま暖かい空気がうなじのあたりを撫でた。
窓は閉まっているはずなのに…
「もしもし?」
足もとが急激に冷えてきた。
足首から下が冷水に浸かっているような感覚。
明かりは灯っているし、外の通りを通る車の音も聞こえるのに、怖い─
ふと、壁の差し込み口に目がいった。
ジャックには何も繋がっていない。
電話線は台の上から床に向かってダラリと垂れ下がっていた。
電話を切ろうとしたその時、受話器の向こうから声がした。
『うしろ』
ハッキリとした女の声だった。
それが姉の声だったのかは分からない。
しかし、その声を聞いた瞬間、
私は反射的に後ろを振り向こうとした─
ザワ…
全身の皮膚が粟だった。
背後に何ものかの気配。
受話器を握る手に力が入る。
全身が硬直して、息ができない。
いま振り向いてはいけない。
本能がそう告げているような気がした。
…クスクス…クス…
どこからか、小さな笑い声が聞こえてくる。
それが電話からなのか、それとも部屋のなかから聞こえるのか、
もう判別がつかない。
足元の冷気が水面のように波打ちはじめたような気がした…
「お姉…ちゃん?」
ようやく、その言葉だけを絞り出した。
途端に笑い声が止んだ。
一瞬の空白の後、
『アハハハハハハハハハハハハ…』
けたたましい笑い声。
足元の冷気が、ぬるり、といった感じでうごめき、
最後に、粘り気のあるゼリーのような感触を残して足首から離れた。
背後の気配がスーっと薄れていく…
『ハハハハハハハハハ─・・・・
不意に声が途切れた。後は発信音もなく、無音。
その一瞬前、笑い声の彼方に、女の声がかすかに聞こえた。
消え入りそうに小さな声で、
『…バカ…』
徐々に全身の力が抜け、私は床にへたり込んだ。
しばらくは、そのままの姿勢で何も考えられなかった。
やがて、安堵感がゆっくりと体を満たしはじめた頃、また電話が鳴った。
一瞬、鼓動が跳ね上がったが、自分の携帯の着信音だと気付いた。
手を伸ばし、通話ボタンを押す。母親からだった。
『すぐに戻ってきてッ』
電話口からも分かるくらい、母はうろたえていた。
姉の遺影が真っ黒になったのだ、と言う。
『声が聞こえたような気がして部屋に行ったら…さっきまで何ともなかったのに…』
私は電話を切ると立ち上がり、部屋のドアを開けた。
「ばーか」
今度はハッキリと男の声が聞こえた。

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