魔漏
2018/11/06
昨年の大晦日、
私(Y)は夫のRと妹のA美と
三人で北関東にあるRの実家に出かけた。
夫の実家は、
近県では有数の古い歴史を誇るH神社を擁する、
山間の町だ。
私達は、H神社に参拝しながら年を越そうと思った。
ところが、山道に入ると渋滞が酷く、
とても0時前にH神社に到着できそうにない。
この後、1時頃に夫の実家に着く予定だったので、
0時半迄には神社を出たい。
車中で話した結果、
その夜はH神社への参拝を諦め、
元旦過ぎに出直すことに決めた。
車を回して山を降ろうと脇道へ入った時、
夫が
「そういえば、この先にも神社があるよ。」
と言い、そこで年を越そうと提案した。
H神社の流れを汲み、
火産霊神(ホムスビノカミ)を祀るその神社(G神社)は
地元では知られており、
住人の間では、そこで年を越し、
大混雑するH神社には、
年明けにゆっくり参拝するのが慣例だそうだ。
H神社に行けずに、
愚痴を溢していた妹のA美は、
その提案に飛びついた。
私達は、畦道に車を止めてG神社へ向った。
中規模な神社の割には、
参道に地元の人が長い行列を作っていた。
既に0時も近く、列に並んだら、
夫の実家に着くのは何時になるか見当もつかない。
そんな時、A美が境内の右の外れを指差して、
「あの御社がすいているよ。」
と言った。
見れば、参道から少し外れた処にある、
細く長い石段の先に、小さな境内社が見える。
時間もない為、私達はそこへお参りすることにした。
境内社には青白い灯りが燈っていた。
社の隣には授与所があり、
年老いた巫女が、
御守を並べて黙って立っている。
「この社は町の文化財なんだよ。
G神社は、戦時中に一度火事で焼け落ちた。
その日も、丁度今日と同じく大晦日で、
沢山の参拝客が火に捲かれて亡くなる大惨事だったけれど、
この社は火の手を免れて、戦後、この境内社に移設されたんだ。
本殿は、戦後建て直されたものだよ。」
Rが薀蓄を述べた。
私達は賽銭を投げ、
来る年の安寧を祈願した。
目を瞑り、願をかけていた時、
突然、A美が
「え、なに、なに!?」
と怯えた声を出した。
私も夫も驚いて目を開けた。
A美は、腰を両手で押え、
私達を見て何かを訴えようとした。
が、すぐに腰から手を離し、
今度は、誰かを探す風に周囲を見回した。
「どうかしたの?」
と、夫が尋ねると、A美は不安げな顔で、
「誰かが私の腰に抱き付いた様な気が。」
と言い、次いで、付け加えた。
「それと、「あそんで」って声が聞こえた。」
私は、
「気のせいでしょ。」
とA美に告げたが、
薄暗く人気のない社の雰囲気も手伝い、
少し怖くなった。
隣では、夫が眉を顰めていた。
「とにかく、帰ろうか。」
夫が呟いた。
参道から年越しを告げる歓声が沸き起こった。
私達が、その社を去ろうとした際、
授与所にいた巫女がポツリと
「おまもりを持ってお行き。」
と呟いた。
私と夫は、その老婆が俯いて、
目を閉じたまま語りかける姿が気味悪く、
また、御守自体も、
剥き出しの木に紋様が刻まれた
得体の知れない代物である為、受け取らなかった。
ところが、A美は一つ貰ってきた。
代金はかからなかった。
帰りの車の中、A美が、
腰が痛いと頻りに訴えるので、
私は彼女の腰をさすってあげた。
「そんな変な御守どうするの?」
と私が訪ねると、妹は
「なんか怖かったから、厄除けにもらった。」
と答えた。
Rの実家には、
予定の午前1時より少し前に着いた。
義父と義母が私達を出迎え、
居間に通してくれた。
義父は町役場の古株で、義母は教員。
二人ともこの町の生まれで、
郷土史研究を趣味にしている。
新年の挨拶を手短に済ませた後、
私と妹は客間で寝ることになった。
寝屋の支度をしていると、
A美が、小さな飾り棚に置いてあったお手玉を手に取り、
「珍しいね。私、やったことがないや。」
と言った。
私達は、程なく床に就いた。
その夜更け、私は物音で目を覚ました。
慌てて部屋の明かりを点けると、
隣で寝ていたA美が白目を剥き、
口から泡を吹いて痙攣している。
私は驚いて
「A美、A美」
と何度も妹の名を呼んだ。
声が聞こえたのか、
隣の部屋で寝ていた夫が飛び込んできた。
気が付けば、妹の発作は治まっており、
スヤスヤと寝息を立てている。
私達は安心し、寝床に戻った。
明け方、私は再び物音で目が覚めた。
A美が隣にいない。
台所から音がする。
私は、恐る恐る台所を覗いた。
A美が屈んでいた。
冷蔵庫の扉が開いている。
なにやら、ぐちゃぐちゃと音がしていた。
見れば、A美は片手に大根を、
片手に生肉を持ち、
凄まじい形相で貪り喰っている。
私が、
「親戚の家で、なんて真似を!」
とA美を叱り、腕を掴んだが、
妹は従うどころか、私を振り払い、
無言で食事を続けた。
彼女の口の周りは、
牛肉の血で染まっていた。
妹は、存分に食物を喰らった後、
すっと立ち上がり、
私には目もくれずに脇を通り過ぎて、客間へ戻った。
私は、急いで妹の後を追った。
客間に戻ると、
お手玉で遊ぶA美の後姿が目に入った。
何故か異様に上手で、
耳慣れない唄を口ずさみ、
五つ一遍に、延々と投げ続けた。
その顔には不思議な薄ら笑いが浮かんでいる。
私は気味悪く感じたが、
とにかく気にしない事にして、
三たび、床に就いた。
眠りについた私は、
しかし、直ぐに誰かに揺り起こされた。
目を開くと、A美が私の上に覆い被さり、
目を大きく剥いて、
鼻がくっつく程近くで無表情に私の顔を見つめていた。
「お話して。あんころもちとか、瓜子姫とか。」
彼女が言った。
私は驚いて、すぐに顔をA美から離して、
「あんころ?何?わかんない。」
と答えた。
すると、妹は、
突然私の首を両手で締め上げた。
その余りの力の強さに、私は声も出せず、
必死に足をばたつかせ抵抗した。
A美は薄ら笑っていた。
すぐに、隣室のRが、
続いて義父と義母が飛び込んできて、
三人がかりでA美を取り押さえた。
両手足を封じられたA美は、
狂人の如く踠いて、義父の腕に齧り付く。
義父は、すぐに逃れたが、
腕には鮮血が迸り、深い口創が刻まれた。
それでも、三人は何とか、
荒れ狂うA美を御し、
紐で何重にも柱に括り付けた。
A美は、大きく目を剥いて私達を睨み、
頭を激しく振回して
「殺してくれるわ!!」
と、大声で喚き続けた。
時折、おぞましい声で泣き叫んだ。
朝になって、
義父がH神社の宮司に電話をかけ、
宮司が家に駆けつけた。
宮司は、暴れる妹の姿を見て苦笑しながら、
「あれはどこだね?」
と義父に尋ねた。
義父は、私と夫に、
「何か御守の様な物をもらったか?」
と訊いた。
私は、
飾り棚の上から例の御守を取ってきて、
宮司に渡した。
「やはり。こりゃ、マモリだ。」
宮司はそう呟き、
H神社でA美に処置を施すからと、
義母に同行を求め、すのこで妹を簀巻きにして、
車に載せて去って行った。
一行を見送った後、
義父が突然、Rを怒鳴りつけた。
「お前が一緒に居たんだろうが!!」
夫は下を向き、唇を噛んだ。
「あれは、「魔漏」つー物だ。」
義父は、私にそう告げ、
何処で手に入れたか説明を求めた。
私が、初詣の状況を詳しく伝えると、
「やはりG神社なぁ。」
義父は溜息をついた。
「Rには、幼少からこの町の歴史や伝承を教えたんだがなぁ。
御霊信仰(ゴリョウシンコウ)は只の言い伝え程度に思ってたか?」
私は、昨晩夫が眉を顰めたことを思い出した。
義父は淡々と語った。
「G神社は、本来、御霊信仰から興った。
禍津日神(マガツヒノカミ)を祀ることで災厄を抑え、
逆に、邪悪な神力を政に転用するものだ。
それを、戦後の神道指令を契機に、
H神社の一神である火産霊神を主に祀り、
禍津日神を境内社に祀ることで、
事実上、そこに封じ込めた。」
その時、黙っていた夫が口を開いた。
「禍津日神を頼んで、
あの一角には幽世(カクリヨ)に行けず
現世(ウツシヨ)に迷う怨霊が集まる。」
義父は、深く頷いて、話しを続けた。
「そう。でも、だから参拝するなつーことではないよ。
あの社で禍津日神に祈りを捧げれば、禍力は鎮まるし、
本来、御霊や怨霊の類は境内社の外には出られん。
だが、その目的を理解せずに参拝すると、
おかしなことになる。」
義父は暫く私を見つめ、言葉を続けた。
「授与所が在ったと言ったね。
年老いた巫女が魔漏を配っていたと。」
私は頷いた。
「あの境内社に、授与所なんぞないよ。」
義父は、そう言って苦笑した。
「あそこで他の神に祈れば、禍津日神が怒り、
禍を増長させる結果になる。」
義父が、諭す様に私に言った。
「だが、禍霊共が外に出るには媒体が必要だ。
魔漏は、その代表だよ。
その巫女は神霊の権化かも知れん。
若しくは、町の何者か。
昔からここに居る者の中には、
未だに御霊信仰に傾倒する者も皆無ではない。」
義父は、私に、
初詣中にA美に異変があったか訊ねた。
私は、妹がおかしな声を聞き、
何かに怯えていたこと、
腰を痛がっていたことを伝えた。
義父は、
「曲霊(マガツヒ)の好き嫌いもあるからなぁ。」
と呟いた。
そして、言った。
「A美ちゃんは波長が合ったのかね、
霊に気に入られたんだなぁ。
で、そ奴は、魔漏に入り込み、
まんまと境内社の外に出て、A美ちゃんに取り憑いた。」
私が、俄には信じられない様子でいると、
義父が優しく言った。
「A美ちゃんは大丈夫だ。
宮司にしてみりゃ、手馴れたものだよ。
信じようと信じまいと、
これからは、神仏の意味を理解してお参りすることが大事だなぁ。」
妹と義母は、元旦はH神社から帰らず、
二日の朝に、家に戻ってきた。
A美は、H神社から戻った後、
何事もなかったかの様に明るく振舞っていた。
私達は、三箇日をRの実家で過ごし、
四日に東京へ戻った。
別れ際、義母がA美に、
「一霊四魂。自分を見失わず、危うきには近づかず、
直霊(ナホビ)にて御魂が統治される様、
何時もしっかりと自分の心に耳を傾けるんだよ。」
と伝えた。
帰りの車中で、
私は、妹に己の奇行を覚えているか訊ねた。
だが、妹は何も答えなかった。
追究しようとする私を、夫が諌めた。
あれから一年近くが経ち、
次の正月が近づいている。
私は夫と、
今年も実家に帰る日程を話し始めた。
そんな折、私の家に遊びに来たA美が、
どういう心境からか、件の一日のことを語った。
「去年の大晦日、私があの神社で、
誰かの声が聞こえたと言ったの覚えてる?
あの夜、私は、誰かの声で目を覚ましたよ。
目を開けると、辺りは真っ暗なのに不思議と良く見えた。
すると、天井の隅の方から、
「あそんで、あそんでよ」
と聞こえたから、私は声の主を探したの。
その時、見ちゃった。
天井を這って私に近づいて来たんだよ。
裸なのに真黒な女の子が。
焼け爛れた皮膚が、所々、体からずり落ちていて、
全身は黒焦げだった。
その子は逆さのまま、首をぐるりと捻って、
大きな黄色い目で私を捉えて、嬉しそうに笑ったんだ。
更に怖かったのは、
異常に長い髪の毛が天井から床まで垂れ下がって、
その子が髪をずるずる引き摺りながら這い寄ってきたこと。」
「それが、ゆっくり私の真上まで這ってきて、
髪の毛が私の顔に被さった。
で、赤い歯を剥きだして笑ったんだ。
そしたら、見る間に、その上半身だけが、
ずずずっと天井から伸びて、私の目の前に、
女の子が両手を差し出して迫ってきた。」
A美が言った。
私は、
「それから後は覚えている?」
と訊ねた。
A美は頷き、続けた。
「その後は、私は灰色の空間にいたの。
周囲に、丸いものが四つ漂っていた。
少し離れた処にあの子がいて、
四つの玉を操る様子で、何か唱えてた。
私は、動くことも、声を出すこともできず、
ただ立たされたまま、その光景を見ていた。
四つのうち、赤っぽい一つが極端に大きく膨らんで、
激しく乱舞していたよ。
それから、随分時間が経って、
私はその空間から引きずり出されたの。
気が付くと、目の前に宮司さんがいた。」
私が、奇行について訊くと、
「自分では覚えていないけど、叔母さんからきいた。」
と笑って答えた。
宮司は、その後、A美に滔々と理を説いたそうだ。
神社のことや神のこと、
魂の成り立ち、現世と幽世のこと。
妹は、話を聞くうちに、
段々と恐怖感が薄れていったという。
話しを終えて、妹は言った。
「今年は、ちゃんと禍津日神を鎮めるために参拝したいな。」
夫は、私に
「A美ちゃんは良く理解しているよ。
僕なんかより、余程。」
と囁いた。
私は、俄には信じがたい話に唖然としつつも、
参拝には同意した。
今年の正月も、あの社へ行く。
だが、あの授与所があっても、
おまもりは絶対に貰わない。
そういえば、一つ、
私が気になっていることがある。
A美は、あれ以来、
お手玉で遊ぶことが多くなった。
H神社で処置を受け、家に戻ったあの日、
妹は上手にお手玉ができるようになっていた。
彼女は、時折、
私の家の和室でもお手玉をする。
耳慣れない唄を歌いながら、
延々と投げ続ける妹の背中を見ていると、
あの夜、客間で遊んでいた、
得体の知れないA美の後姿が脳裏をかすめ、
不安を覚える。
夫も少し引っかかる様子で、
それを見る度に
「気にしない、気にしない。」
と、決まって独り言をいった。
私も、深く考えない様に努めている。