横切った人
2018/09/03
先日母方の祖母が亡くなり、その葬儀に参列していたのですが、不思議な体験しました。話は昔俺が大学生の時の頃から始まっています。当時、父方の祖母が亡くなり実家で葬儀をあげました。祖母の葬儀も無事終わり、火葬も終わりった夜、親戚の血の濃い面々で飯を食っていました。ちょうど食事を…
2018/09/03
先日母方の祖母が亡くなり、その葬儀に参列していたのですが、不思議な体験しました。話は昔俺が大学生の時の頃から始まっています。当時、父方の祖母が亡くなり実家で葬儀をあげました。祖母の葬儀も無事終わり、火葬も終わりった夜、親戚の血の濃い面々で飯を食っていました。ちょうど食事を…
2018/08/30
私は数年前まで中学校の教員をやっていた者です。学校というところは、大勢の人間が行き来するだけにさまざまな『気』が澱んでゆく場所のようです。よい意味で清々しい気もあれば、悪意に満ちた気もある…これはそんなことではないかなという私の体験です。私が教員になったばかりの頃ですから…
2018/08/26
バイク会社学校事故写真葬儀体験田舎電話入院聞いた話小学生手紙夏休み
俺が15年前、俺が小学生の頃の話。ある年の2月半ば、親父の会社(○ヨタ)の部下が「給料が貯まったのでそろそろ車を買いたいから係長(俺の親父)、探してくれ」と言うので、俺は親父に頼んで、遊び半分で部下の買い物に連れて行ってもらった。中古車屋の店長は結構愛想のいい人で、特に部…
2018/08/25
我が家の謎です。中学の時、母方の祖父が死にました。脳の手術して神経後遺症(だったかな?)がひどく残り最後は「狂い死に」に近い死に様。で、お通夜の夜、親戚一同は1Fで寝てたんですが母と私と父は2Fの祖父が使ってた部屋で寝ることに。夜中階段をギシギシと誰かが上ってくる音に目覚…
2018/08/25
わたしが以前勤めていた法務局の話しをします。そこは今はもう統廃合されて存在しない出張所なのですが、とある歴史の古い町の、昔の遊郭の傍にありました。私がそこに勤めていたのはほんのわずかなのですが、一緒に働いていた女性たちが次々と病気や怪我など災難に遭うのです。その出張所にいて…
2018/08/24
私の友人A子さんに関する話をします。彼女は数年前に離婚を経験しました。直接的原因は、ご主人の家庭との不和。一言で言えばそうなのですが、そこにはかなりいろいろ事情があります。かいつまんで説明しますと、まずご主人の態度の変化から。新婚半年目あたりから態度に変化が現れたそうで…
2018/08/23
私が高校生だった頃の思い出話です。私の通っていた高校は、全寮制の、歴史ある学校でした。県下で一の伝統を誇り、建物は古く、先生方の頭も古く、指導の厳しいところでした。生徒の自主性といった今流行りの考えとは縁遠く、何事にも増して伝統とそれに支えられた校風の維持を重視する環境だっ…
2018/08/23
受験を控えた中学3年生になり、新たなクラスメイトになれたころ合唱コンクールが開かれることになった。担任は、熱血理科教師で、かなり分かりやすい授業をしてくれて厳しいながらも生徒思いの先生だった。コンクールは、まず学校内で簡単な発表会を行い、それで各学年から代表クラスが選ばれる、…
2018/08/22
今も忘れられない、友人の葬式での事...友人は首を吊って自殺してたそうなんですが彼女の母親が発見したものの娘の死を受け入れられず3日間そのまま抱き続け、母親の職場の友人が気になり自宅へ現場は酷い状態だったそうで、すぐに警察へ。連絡を受け私達は通夜から行き、そのまま葬儀当日。…
2018/08/18
私が小学1年の冬、弟を産むため母は入院していて、私は登校時、誰もいない家を一人で出るのがなんとなく嫌で、父もまだ幼い私がちゃんと施錠して家を出られるか不安だったみたいで、しばらく父の出勤時間に合わせて、普通の子の登校時間より一時間くらい早く登校してたのね。教室はガランとしてて、…
2018/08/18
20年ほど前の実話です。私の祖父が救急車で運ばれました。もはや老衰と呼ばれる状態で、入院したらそこで死を迎えるのは家族全員がわかっていました。祖父は救急車で運ばれ入院したその日の夜に意識を取り戻しました。祖父は私たちに、 「坊さんが10人並んでいてそれを一人ずつ撃ち殺し…
2018/08/17
厨房の頃、俺はDQNだったwいわゆるヤンキーの下っ端って言う感じだった。で、先輩が肝試し(というか根性試し)する。と言う話になって下っ端は嫌でも行かなければいけなかった。先輩の言うことは絶対で、無視すれば殴られるからだ。場所は近所にある古い寺。雑誌にも載ったことがある…
2018/08/17
昔、めったに助からないと言われた病気(膠原病の一種)で入院した。その病棟は治癒退院よりも死亡退院のほうが多い、難病ばかりの病院だった。当時病気の治療法が確立されていなかったために、同じ病気の同じ年頃の女の子といっしょに、ただし別々の治療法で処置してもらった。自分は点滴も薬を…